地球交響曲 第七番

「地球交響曲 第七番」という映画を観てきました。

いや〜〜、良かった。しみじみ。

ガイヤシンフォニー

去年見逃した映画なのですが、結果的に今観て正解だったと思います。
日本人が大きな震災を経験した(している)今こそ、正に観るタイミングだったと。癒し系のはずですが、僕はガツンとやられました。

「地球交響曲」についてWikipediaから引用。

地球交響曲とは、ドキュメンタリー映画の作品名で、「ガイアシンフォニー(Gaia Symphony)」とも読まれる。 全編、龍村仁が監督しており、各編の出演者たちが「地球の中の私、私の中の地球」というテーマで語るインタビューを、美しい景色と共に1本の映画に納めるというコンセプトで制作される。



第七番

今回は次の三人が登場しました。

  • 高野孝子氏(環境活動家)
  • グレッグ・レモン氏(元「ツール・ド・フランス」チャンピオン)
  • アンドルー・ワイル氏(現アリゾナ大学統合医学プログラム部長)

高野孝子氏

「人力と犬ぞりに依る北極海横断の旅を日本女性として初めて成し遂げた」方とのこと。極限の環境で過ごされた経験からくる物事の見方には、とても静かで大きな説得力を感じます。冒険する際の装備が、昔と比べて小型で軽く便利になったことについて語る場面は、何故だか僕の頭に「ガーーン」と響いています。高野氏は大凡次のようなことを語りました。

「便利なテクノロジーは、テクノロジーなしで生きていく術を知っている人が使うのと、それが無いと生きていけない(と思って生きてきた)人が使うのとでは、大きな差がある」

グレッグ・レモン氏

ただの自転車バカ(←敬意を混めて。笑)のおっさんにしか見えないのですが、語ることがいちいちいちいち「智慧のある人なんだなぁ」と思わされるものでした。猟銃で六十発撃たれて死にかけてから、奇跡のレース復活。色々な意味で凄い…。

アンドルー・ワイル氏

「世界各地の伝統医療と西洋近代医学を統合する統合医療の世界的第一人者」とのこと。一部根拠を知りたい話もあったけど、自ら体験して実験して語っている姿勢は頷けます。「病気になるとすぐ薬が出る。今の医療は薬じゃないと治らないと思わされてしまうのが欠点。身体自身に治癒力がある。薬自体が治すのではない」というようなことを仰ってました。

霊性の原風景

日本神道の自然観などが語られます。自然に対する畏敬の念を想ったり、宗教的儀式などから先人の文化や想いを感じることが出来ます。


まとめ

「裸の王様」的であっても皆が妄信的に続けてしまうことは世の中にたくさんあると思います。人間とそのテクノロジーや自然との付き合い方など色々と思いを巡らせて観ることが出来ました。近年の僕は妄想に敏感なので、根拠の無い神秘的な話が多かったら嫌になるんじゃないかと若干心配していました。でも神秘思想に引きずり込む感じではなく、学ぶ点が多くて有意義に観させて頂きました。
僕が地球交響曲に出逢ったのは第四番のときで、それ以降ハマって全作観ています。第一番にはあの有名な歌手エンヤも出ています。

執筆現在(2011年3月)第七番の予告編がホームページのトップで見られます。第一番〜第六番の各ページにもそれぞれの予告編があります。落ち着いた雰囲気の映画です。
どちらかというと女性的センスで好まれる気がします。癒し系だと思います。もし興味の湧いた方はぜひ観てみて下さい。
(滅多に上映してないんだけど。特に地方では…)


地球交響曲のOffcial Site

http://gaiasymphony.com/


上映情報

ラピュタ阿佐ヶ谷 第一番〜第七番 連続上映
2011年3月27日(日)〜4月30日(土)
http://www.laputa-jp.com/

本当にラピュタみたいな面白い建物の映画館です。東京で観るなら今です。



最後に…

もう1つWikipediaからの引用。

この映画は初め、上映してくれる映画館が無かったために、完成から約一年の間「お蔵入り」していた。1992年、龍村監督が自らチケットを引き受けることを条件に、ようやく数週間の上映に漕ぎ着けた。上映後1日、2日はチケットを買ってくれた友人知人で満員になったが、3日目から観客は激減。ところが、公開から2週間目を過ぎた頃から、映画を見て感動した人による口コミにより、当日客が増加。最後の2日間は、前売りのチケットを持ってゆっくり来た客が入れなくなるほどであった。最終的に、第一番の観客動員は3年目に30万人、第二番は半年で20万人を越えた。
この映画の特徴は「自主上映」である。映画を通じて集まった仲間が「ガイアネットワーク」として様々な活動を行い、その後の映画の製作、上映をサポートするようになった。


2011年3月11日 東日本大震災

2011年3月11日、日本は東日本大震災と呼ばれることとなる大地震に見舞われました。ご存知の通りです。
皆さま、ご無事でしょうか?

まずはご報告します。
東京も恐ろしく揺れましたが、私も両親も無事でいます。茨城県へ嫁いだ妹も、困難はあるようですが、家族で無事とのことです。
ありがたいという気持ちを噛み締めております。

地震当日は、テレビで見た現実感を失うような津波の凄まじさに言葉を失いました。そして連日の報道で垣間見える被災地の困難な状況、更に原子力発電所の事故の脅威や不安。私自身、取り乱してはいないのですが、呆然として頭が働いておりません。


妹は茨城県に住んでいます。海へは比較的近いのですが、高台に住んでいるお陰で大事には至りませんでした。家族で無事とのことです。4mぐらいの津波(未確認情報)があったと聞きました。屋根や階段が破損しているみたいです。電気やガスが止まり、特に当初は不便な思いをしたみたいです。現在も物資不足が続いていると思われます。連絡が取れるまではとても心配でした。赤ちゃんもいますし、福島県も遠くはないので原発のことも心配しております。


先に触れておきますが、私は原発については否定的です。
理由は単純に、人間(人類)に管理能力はない、脅威となる影響が管理能力を遥かに超えている、と思うからです。更に書きたいことはありますが、今は書くときではないでしょう。しかしネットでの混乱を見る限り、一部の方々に誤解を与えて申し訳ないことにもなるので、少し続けます。

私は特定の組織を批判している訳ではありません。特に大きな組織は、中身が色々で流動的で訳がわかりません。組織を指差ししても、実のところ何を指しているのかわからないのです。イメージだけなのです。それは、国でも政府でも会社でも同じです。

イメージで評価するのではなく「行為」を見るべきです。命をかけて広く生命を救う行為は批判するものではありません。ですが、その方々を含め多くの生命を危険にさらした行為、その原因を作った・作ってきた行為は、意図的に正当化するものではないはずです。その行為の原因を探り、悪いところはきちんと反省して、今後のあり方を考える必要があります。


被災地の方々はもちろんですが、被災しなかった方々もこの震災により心に傷を負っています。

思うようにいかない感情が、無意識に攻撃材料を見つけたり、些細なことで揚げ足を取ったりしてしまうこともあるでしょう。自分も一生懸命気をつけています。一ついえることは、批判したくなる相手も「早くなんとかしたい!」と強烈に思っていることです。

また(批判する意味ではないのですが)正義感を持ったり優しい気持ちになることが、実は自分の傷を癒すためにやっている場合もあるのです。正義感や優越感などある種の陶酔感に浸らず押し付けず、自分が出来ないことにも落ち込まない。ひとりの人間にはひとり分以上のことをするのは原理的に不可能です。自分を責めることはないのです。
人間そんなものだと思って、完全なものはない、完璧なものはないと思って、まずは明るい気持ちになるのが大切だと思います。何故ならば、全ての行ないは心より始まるからです。誰だってそこから歩き始めるのです。

今回の地震で、海外から日本人の冷静さへの評価が高いとも聞きます。日本人といっても概念なので掴み所がないのですが、結局は行為の下地になっている価値観や文化だと思います。先人に感謝し、良いものは残していきたいですね。

これから長期戦になれば、きれいごとでは済まない面も増えてくるでしょう。心が明るくないと人を助けることはなかなか出来ません。元気になれる人は元気になり、頑張れる人は頑張り、頑張れない人はせめて気持ちをしっかり持って欲しい。気持ちを明るくして、みんなで乗り越えていきましょう。決して、ひとりでは解決出来ないことです。

亡くなられた方々へ追悼の意を表すとともに、被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。一日も早く困難が取り除かれ、穏やかな生活に戻れますよう願っております。


高橋逸人


心菜ちゃん

3日前にメールで送られてきた、妹の赤ちゃんの写真です。