震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 4.種市町、田老港 〜 2011年6月2日

約1ヶ月前の6月初頭(震災から2ヶ月と3週間後)に、岩手県に行きました。
前回までに引き続き、現地で撮った写真を公開します。最終回です。

今回もまた津波による物的被害の写真が大半を占めます。
毎回しつこく書きますが、写真は「見せたい部分のみを切り取る手法」なのでどうしても演出になる傾向があります。報道の映像や写真ではなく実物を見たいと思って現地に行った私が、その写真をお見せしているというジレンマがあります。“カメラのファインダーという視点からの”…1つの事実として見て頂ければと思います。
お読みでなければ、初回の記事から読んで頂けると嬉しいです。


種市町

種市町の、たねいち海洋公園に立ち寄った。ここでは被害の状況を間近で見ることが出来た。

シーサイドハウス入口にて

海水浴場の施設。
色々写真に入れようとして、意識し過ぎた写真になってしまった。



破壊されたボイラー?

破壊されたボイラーか何か。



壊れた天井

壊れた天井。



AEDの装置

放置されていたAEDの装置。



破壊されたトイレ

破壊されたトイレの様子。



ロッカーの散乱する更衣室

ロッカーの散乱する更衣室。



止まった時計

止まっていた時計。



寝てしまった看板

寝てしまった看板。
植物の被害も。倒れなくても塩でやられてしまう。



倒された柵

倒された柵。
写真にはあまり写っていないが、舗装の剥がされた箇所もたくさんあった。



折れ曲がった柵

折れ曲がった柵。



倒壊した休憩所か何か

倒壊した休憩所か何か。



倒された防波堤の柵

防波堤の柵。



ウニの養殖場?

案内してくれた方によると、ウニの養殖場ではないかと。散乱しているのは水槽か。



壊れた車を載せたトラック

帰り道ですれ違ったトラック。壊されたたくさんの車を運んでいた。



田老

翌日、帰りに再度通りかかった、田老港。

田老港近く住宅地の被害

改めて凄い被害だと思った。
正直初日は、目の前でまざまざと見ているはずなのに、よく理解できなかった感じがある。



被災された建物

被災された建物。



田老観光センター

田老観光センター。
観光業も大変だと思います。ピンチをチャンスに変えるぐらいの秘策が見つかるといいのですが…。



最後に…

風車

都合で、秋田県へ出て日本海側を通って帰りました。



以上、種市町と田老港の写真でした。
これまで4回に渡り、岩手県の宮古港から、田老港、田野畑村、普代村、野田村、久慈市、種市町の写真を公開しました。
現地に詳しい人の案内でこれらの地域を巡ることができました。感謝いたします。宮古港から南の地域は、車で入りにくそうとのことで候補から外しました。

まとめ

津波の被害を受けたところと受けなかったところでは大きな差があると思いました。
津波の惨状を見てハッキリと感じたことは、ごく単純に「海辺で地震にあったら(津波がきたら)まず逃げる」ということで、それは肌で感じました。それに加えて「周りの人を引き連れて逃げましょう。それを伝えていきましょう」ということを思いました。他は呆然としてしまって、どう考えていいのかわかりません。あと実際に津波の被害を見たら、感傷的な気分が逆に減った気がします。被害が少ないという意味ではなくて、暗闇に隠れていたものの正体が少し見えたような気分です。

ひと月前の積み上がった瓦礫をくぐり抜けた方が、今回「よく片付けたわ…」と関心していました。そういう意味では復興が全く進んでいない訳ではないことがわかりました。関係者のもの凄い努力から、一筋の希望を感じることが出来ました。これは自分の気持ちにも大きく影響を与えました。
しかしながら、生活の場としての復興はまだまだ進んでいないといえます。仮設受託を建てる場所がないなど、地域の事情もたくさんありそうです。よく阪神大震災の復興と比べられますが、規模の違いや津波の被害、現地に行く手段(道路の数など)が少ないことなどを考えると、単純に比べられないと思いました。
ともかく大変な状況ですが、コツコツと地道に生活を取り戻そうとしている方々が一番偉いのだと思いました。

今回は、公開する意味やどのようにお伝えすればいいのかと、私自身が迷う場面が多く、何となく歯切れの悪い記事になったかもしれません。思ったことや写真を眠らせておくよりはいいかな?…と思った次第です。
見ていただき、ありがとうございます。



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震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 3.普代村、野田村、久慈市 〜 2011年6月2日

約1ヶ月前の6月初頭(震災から2ヶ月と3週間後)に、岩手県に行きました。
前々回・前回に引き続き、現地で撮った写真を公開します。

今回もまた津波による物的被害の写真が大半を占めます。
毎回書きますが、写真は「見せたい部分のみを切り取る手法」なのでどうしても演出になる傾向があります。報道の映像や写真ではなく実物を見たいと思って現地に行った私が、その写真をお見せしているというジレンマがあります。“カメラのファインダーという視点からの”…1つの事実として見て頂ければと思います。
お読みでなければ、初回の記事から読んで頂けると嬉しいです。


普代村

折れたポール

海沿いの公園にあったポール。
ポールの先に孤立したテトラポッド。あれが流されてきて、なぎ倒した可能性も。



水産物荷捌施設 (1)

水産物荷捌施設。



水産物荷捌施設 (2)

ここは近づけたので様子を見させて頂いた。



水産物荷捌施設 (3)

結構な高さだが、屋根上まで壊れていた。



野田村

野田村の被害

この辺りには住宅があったらしいが、何と言っていいのか。特に奥の方は住宅が密集していた痕跡が。正直まともに実感が湧かなかった。



野田村の被害をパノラマで

写真を繋げてパノラマ(約180度)にしてみたが、これでも伝わらない。



瓦礫の山

海岸近くには、瓦礫になってしまった物が積まれていた。



なぎ倒された松

海岸沿いは、松がなぎ倒され、塩で枯れていた。



住宅地の被害

先程の広い住宅地の跡を通り抜けた。



野田村災害廃棄物仮置場 (1)

野田村災害廃棄物仮置場。



野田村災害廃棄物仮置場 (2)

ひと月前と比べて町の中はかなり片付いたようだが、仮置き場に移動している段階で、まだまだその先が大変だと思う。



久慈市

久慈港近くの被害

久慈港も被害の痕跡がたくさんあった。



民家の被害

海辺の民家の被害。



ひといき

うに弁当

三陸鉄道の久慈駅で売っている「うに弁当」。旨かった!元気を頂いた!
ウニが復活してお弁当も復活したとのこと。数量限定で、このとき人数分足りなかったのだが、注文を喜んでくれた店主が急遽数を間に合わせてくれた。
その後このお弁当の話題がNHKで放送されていた。



以上、普代村から野田村、久慈市まででした。次回は、種市町の写真です。
見ていただき、ありがとうございます。



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震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 2.田老港、田野畑村 〜 2011年6月1日

約1ヶ月前の6月初頭(震災から2ヶ月と3週間後)に、岩手県に行きました。
前回に引き続き、現地で撮った写真を公開します。

今回も津波による物的被害の写真が大半を占めます。
毎回書きますが、これを公開することでどういった意味があるのだろうか?と考えている自分もいます。また写真は「見せたい部分のみを切り取る手法」なのでどうしても演出になってしまいます。お読みでなければ、それについて触れている初回の記事から読んで頂けると嬉しいです。
“カメラのファインダーという視点からの”…1つの事実として見て頂ければと思います。


田老港

田老港にて (1)

田老港を通りがかったが、かなり広い範囲が被災されていた。



田老港にて (2)

家の被害。
思えば更地だって、家の被害なんだよね。
(公開すべきか迷いました)



田野畑村

仮設住宅

仮設住宅。既にご入居されているようでした。



島越駅付近

島越駅付近

ここに村があったと聞いた。



手すり

島越海水浴場近くの手すり。



島越駅 (1)

島越駅。



島越駅 (2)

同じく島越駅。



島越駅 (3)

同じく島越駅。
軽自動車で大きさがわかる。



破壊された車

破壊された車。



羅賀

電車のモニュメントか何か

本物の電車ではなく、モニュメントか何か。それだけが残されていた。



電灯の消えたトンネル

電灯の消えたトンネルも多い。
日中なのに怖い。



明戸

明戸の堤防

明戸の堤防。めちゃくちゃに壊れていた。
(望遠レンズで圧縮されて見えるが、実際は長い)



明戸キャンプ場

明戸キャンプ場。
奥には前の写真の堤防。長い範囲が丸ごと壊れている。津波の力の恐ろしさを感じる。



普代村の堤防

普代村の堤防

普代村の堤防。
昔の村長が反対を押し切って高い堤防を築いたという。そのお陰で、普代村は被害が少なかったという。



以上、田老港から田野畑村、そして普代村まででした。次回は、翌日の普代村から始めます。
見ていただき、ありがとうございます。



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震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 1.宮古港まで 〜 2011年6月1日

約1ヶ月前の6月初頭(震災から2ヶ月と3週間後)に、岩手県に行きました。
この大震災は間違いなく歴史的な大事件です。その事件は連日報道されていますが、どこか演出や想像が入り交じってしまいます。被災された地を、自分の目で見るのは貴重な体験だと思いました。

公開するにあたって

ここで自分の主観を連ねたり、写真を公開することに、どんな意味があるのだろう?
そんなことを今まで考えていましたが、やはり公開することにしました。公開手法もいくつか考えたのですが、普段通りに公開します。

写真は平たくいうと「見せたい部分のみを切り取って見せる」表現手法です。写っているものは事実ですが、どうしても演出になります。逆に撮影者自らが主観的ないやらしさと闘う場合もあります。一応そのことも念頭にご覧下さい。

今回はどうしても惨状が強調されますが、フレームの外にはその環境での淡々とした日常があります。


道中

東北自動車道の工事

東北自動車道。岩手県へ向かう。

福島県辺りから工事が増えてきた。



バスに「がんばろう!東北」

バスの窓に「がんばろう!東北」。

道中、新しい路面や継ぎはぎが目立っていた。



自衛隊の災害派遣の車

時々すれ違う、自衛隊の災害派遣の車。

高速を降り、国道106号にて。岩手県はまさに新緑のきれいな時期だった。



逆さ虹

逆さ虹(別記事参照)が出迎えてくれた。



宮古港

商店街の1階は浸水の痕跡

港に近い商店街の1階は浸水の痕跡。写真はかなり壊れたお店。

ひと月前は、瓦礫になってしまった物(以下「瓦礫」)がまだ溢れていたという。



壊されたガソリンスタンドの屋根

ガソリンスタンドの屋根が壊れていた。
ここは海のすぐ隣。恐ろしいほど水没したことがわかる。

ひと月前はまだ道路脇に漁船などが高く積み上がっていたという。



港近くの町 (1)

被害の多かった港近くの町。



港近くの町 (2)

写真は瓦礫ばかりだが、片付いて更地化している場所も多かった。

ひと月前の瓦礫を見た人が「よく片付けたわ…」とつくづく関心していた。そういう意味では、何も進んでいない訳ではない。



漁船

漁船。まだ使えるといいのですが。



解体OKの印

「解体OK」



解体願います

「解体願います」



町を高いところから撮影

町を高いところから撮影。
想像力を働かせると、かなり辛い写真です。

地元の関係者や自衛隊の方々が淡々と片付けてきたのだと思う。



壊れた道

海岸横の道が壊れていた。



防波堤の一部?

防波堤の一部?
明らかに、あるべき場所にないコンクリ。



仮設住宅

仮設住宅。小規模なので恐らく足りないのでは。海岸からすぐ山になっているので、他にも適地があるのか心配です。



以上、道中の高速道路から宮古港まででした。次回は、田老港からの予定です。
見ていただき、ありがとうございます。



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6.11. 反/脱/卒/嫌/廃/滅/原発デモ

6.11. 反原発デモに行ってきました。
あまり知られていないだろうデモについて、何かしら状況をお伝え出来ればと思います。
(ちなみに私は組織や団体に属してる訳ではありません。個人です)

まず記事にしようと思った動機は、報道の酷さにあります。
4月10日にも反原発デモがあり、1万5千人以上集まったそうですが、日本の大手メディアでは報道されませんでした。
私が見かけたのは朝日新聞の、しりあがり寿さんの4コマ漫画の1コマのみ。ニューヨークでの100人規模の反原発集会は載ったのですが、日本のことは書かずに、米国民の意見はしっかり書いてある奇妙なギャップにも驚きました。日本のマスコミが何らかの力で歪んでいます。
同デモはネット中継を見た人々の間で話題になりました。ネットの力は確かにある。マスコミが報じなくても、個人レベルで記事にしようと思った次第です。

参加の動機は「東日本大震災」の記事でも軽く触れましたが、人類に核の管理能力はないと思うところにあります。数十年ですら問題を起こしているのに、子孫に押し付ける形で、何万年も管理するというのはバカげた話です。文明の平和が何百年と続いたことさえ稀ではないでしょうか。色々書きたいですがここまでにします。

以下の写真が、反原発デモに興味のある方の参考になれば幸いです。また参加出来なかった方は以下の写真を見ながら、一緒に新宿を歩いた気分になりましょう!(^_^)
(写真は主な人物が特定されないようにしています。臨場感を失いたくないので薄いぼかしに見せていますが、予め顔を変形させるなどしています。ご了承下さい)


6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!

6.11.は、世界各地で反原発デモが行なわれました。東京では、芝公園と新宿で開催。新宿に行ってきました。

もう原発はいらない!!

集合場所、新宿中央公園の多目的運動広場の様子。続々と人が集まります。


ドナルド

反原発という枠組みの中でも、色んな人がいる(笑)民主主義。アピール方法も様々。


催し風景

出発前の催し。
制服向上委員会「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」

(反原発で仕事を干される心配があると聞きます。問題は根深いです。彼女らは大丈夫なのかな?)


出発!

出発っ!


さよなら原発

「さよなら原発」プラカード。手作りだろうか?


警官がいっぱい

警官がいっぱい。主に交通整理をしています。


マグロが食べたい

プラカード、傘、風船、楽器など、色々なものでアピール。手書き、手作りも多い。
イラストは関係サイトでダウンロードもできます。


デモ風景

シュプレヒコールもあります。組織・団体もいます。
それらが肌に合わなかったら、違う場所に移動すればいいのです。


デモ風景

グッズを何も持っていなくても、黙々と静かに歩いていてもいいのです。そんな人の方が多いかもしれない。


デモ風景

マスコミで扱われるとしたら、それっぽい派手な人たち(確信犯)ばかりです。でも実際は老若男女、地味な人もたくさんです。参加してみてわかること。


商店街に突入

商店街に突入。高速バスターミナルやヨドバシのある辺り。


新宿西口ロータリー

新宿西口ロータリーの隅っこをぞろぞろと。


新宿西口ロータリー入口

新宿西口ロータリー入口交差点にて。
歩道橋の上からも応援が。


バスに乗る人々が応援

通りがかったバスから「頑張れ〜!」の声援。


応援し合っている様子

応援し合っている様子。


新宿のビルを背にして

新宿のビルを背にして行進は続く。
警官も大変です。


西武新宿駅付近

西武新宿駅付近。


サウンドカー

ゴールまで行ったサウンドカーが戻ってきたのかな。


原発作業員の方に手厚い医療と保証を

原発作業員の方に手厚い医療と保証を。

残念ながらデモも車も渋滞が起きてきた模様。


花園神社を越えて

花園神社を越えて。


明治通りから甲州街道の脇道へ

明治通りから甲州街道の脇道へ。


ゴールの新宿駅東口、アルタ前

ゴールのアルタ前に到着!


大混雑

新宿駅東口、アルタ前は大混雑。イベントも行っている模様。


警官も笑う

警官も笑う。変な質問でもされたのかな?(笑)平和にデモができる国なのです。
笑う警官もちゃんと働いてますので、くだらない批判は止めましょう。


作家の雨宮処凛さん?

作家の雨宮処凛さん?


終了!

お疲れさまでした!!



まとめ

デモ風景

今回は新宿だけで2万人ほど集まったそうです。
友達に話したら「ヘルメット被った? 機動隊と衝突した?」と半分冗談の質問が。もちろんそんなことはありません。
しかしデモって一般的にそんなイメージなのかもしれない。最近の日本のデモは過激ではありません。(アメリカVS)イラク反戦デモのときもそうでした。
誰でも、何も持っていかなくても、気軽に参加できます。お祭りみたいなので、興味を持たれた方は気軽に参加してみては如何でしょうか?


翌日、朝日新聞の一面の一部にデモのことが載っていました。原発を推進してきた組織の体質が垣間見え、国民の視線が厳しくなっている今、反原発をタブー視しない方向へ少しずつマスコミも変わってきているようです。

デモに参加した私自身は、マスコミだけではなく、原発をなくす方向へ流れが変わることを希望します。
フクシマの事故が起きた今、流れを変えられなかったとしたら、私たちの責任で、人類はいつの日か更にパワフルになったこの問題に直面するでしょう。そのときは・・・



最後まで見ていただき、ありがとうございます。