2011年3月11日 東日本大震災

2011年3月11日、日本は東日本大震災と呼ばれることとなる大地震に見舞われました。ご存知の通りです。
皆さま、ご無事でしょうか?

まずはご報告します。
東京も恐ろしく揺れましたが、私も両親も無事でいます。茨城県へ嫁いだ妹も、困難はあるようですが、家族で無事とのことです。
ありがたいという気持ちを噛み締めております。

地震当日は、テレビで見た現実感を失うような津波の凄まじさに言葉を失いました。そして連日の報道で垣間見える被災地の困難な状況、更に原子力発電所の事故の脅威や不安。私自身、取り乱してはいないのですが、呆然として頭が働いておりません。


妹は茨城県に住んでいます。海へは比較的近いのですが、高台に住んでいるお陰で大事には至りませんでした。家族で無事とのことです。4mぐらいの津波(未確認情報)があったと聞きました。屋根や階段が破損しているみたいです。電気やガスが止まり、特に当初は不便な思いをしたみたいです。現在も物資不足が続いていると思われます。連絡が取れるまではとても心配でした。赤ちゃんもいますし、福島県も遠くはないので原発のことも心配しております。


先に触れておきますが、私は原発については否定的です。
理由は単純に、人間(人類)に管理能力はない、脅威となる影響が管理能力を遥かに超えている、と思うからです。更に書きたいことはありますが、今は書くときではないでしょう。しかしネットでの混乱を見る限り、一部の方々に誤解を与えて申し訳ないことにもなるので、少し続けます。

私は特定の組織を批判している訳ではありません。特に大きな組織は、中身が色々で流動的で訳がわかりません。組織を指差ししても、実のところ何を指しているのかわからないのです。イメージだけなのです。それは、国でも政府でも会社でも同じです。

イメージで評価するのではなく「行為」を見るべきです。命をかけて広く生命を救う行為は批判するものではありません。ですが、その方々を含め多くの生命を危険にさらした行為、その原因を作った・作ってきた行為は、意図的に正当化するものではないはずです。その行為の原因を探り、悪いところはきちんと反省して、今後のあり方を考える必要があります。


被災地の方々はもちろんですが、被災しなかった方々もこの震災により心に傷を負っています。

思うようにいかない感情が、無意識に攻撃材料を見つけたり、些細なことで揚げ足を取ったりしてしまうこともあるでしょう。自分も一生懸命気をつけています。一ついえることは、批判したくなる相手も「早くなんとかしたい!」と強烈に思っていることです。

また(批判する意味ではないのですが)正義感を持ったり優しい気持ちになることが、実は自分の傷を癒すためにやっている場合もあるのです。正義感や優越感などある種の陶酔感に浸らず押し付けず、自分が出来ないことにも落ち込まない。ひとりの人間にはひとり分以上のことをするのは原理的に不可能です。自分を責めることはないのです。
人間そんなものだと思って、完全なものはない、完璧なものはないと思って、まずは明るい気持ちになるのが大切だと思います。何故ならば、全ての行ないは心より始まるからです。誰だってそこから歩き始めるのです。

今回の地震で、海外から日本人の冷静さへの評価が高いとも聞きます。日本人といっても概念なので掴み所がないのですが、結局は行為の下地になっている価値観や文化だと思います。先人に感謝し、良いものは残していきたいですね。

これから長期戦になれば、きれいごとでは済まない面も増えてくるでしょう。心が明るくないと人を助けることはなかなか出来ません。元気になれる人は元気になり、頑張れる人は頑張り、頑張れない人はせめて気持ちをしっかり持って欲しい。気持ちを明るくして、みんなで乗り越えていきましょう。決して、ひとりでは解決出来ないことです。

亡くなられた方々へ追悼の意を表すとともに、被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。一日も早く困難が取り除かれ、穏やかな生活に戻れますよう願っております。


高橋逸人


心菜ちゃん

3日前にメールで送られてきた、妹の赤ちゃんの写真です。