約1ヶ月前の6月初頭(震災から2ヶ月と3週間後)に、岩手県に行きました。
前回までに引き続き、現地で撮った写真を公開します。最終回です。
今回もまた津波による物的被害の写真が大半を占めます。
毎回しつこく書きますが、写真は「見せたい部分のみを切り取る手法」なのでどうしても演出になる傾向があります。報道の映像や写真ではなく実物を見たいと思って現地に行った私が、その写真をお見せしているというジレンマがあります。“カメラのファインダーという視点からの”…1つの事実として見て頂ければと思います。
お読みでなければ、初回の記事から読んで頂けると嬉しいです。
種市町
種市町の、たねいち海洋公園に立ち寄った。ここでは被害の状況を間近で見ることが出来た。
海水浴場の施設。
色々写真に入れようとして、意識し過ぎた写真になってしまった。
破壊されたボイラーか何か。
壊れた天井。
放置されていたAEDの装置。
破壊されたトイレの様子。
ロッカーの散乱する更衣室。
止まっていた時計。
寝てしまった看板。
植物の被害も。倒れなくても塩でやられてしまう。
倒された柵。
写真にはあまり写っていないが、舗装の剥がされた箇所もたくさんあった。
折れ曲がった柵。
倒壊した休憩所か何か。
防波堤の柵。
案内してくれた方によると、ウニの養殖場ではないかと。散乱しているのは水槽か。
帰り道ですれ違ったトラック。壊されたたくさんの車を運んでいた。
田老
翌日、帰りに再度通りかかった、田老港。
改めて凄い被害だと思った。
正直初日は、目の前でまざまざと見ているはずなのに、よく理解できなかった感じがある。
被災された建物。
田老観光センター。
観光業も大変だと思います。ピンチをチャンスに変えるぐらいの秘策が見つかるといいのですが…。
最後に…
都合で、秋田県へ出て日本海側を通って帰りました。
以上、種市町と田老港の写真でした。
これまで4回に渡り、岩手県の宮古港から、田老港、田野畑村、普代村、野田村、久慈市、種市町の写真を公開しました。
現地に詳しい人の案内でこれらの地域を巡ることができました。感謝いたします。宮古港から南の地域は、車で入りにくそうとのことで候補から外しました。
まとめ
津波の被害を受けたところと受けなかったところでは大きな差があると思いました。
津波の惨状を見てハッキリと感じたことは、ごく単純に「海辺で地震にあったら(津波がきたら)まず逃げる」ということで、それは肌で感じました。それに加えて「周りの人を引き連れて逃げましょう。それを伝えていきましょう」ということを思いました。他は呆然としてしまって、どう考えていいのかわかりません。あと実際に津波の被害を見たら、感傷的な気分が逆に減った気がします。被害が少ないという意味ではなくて、暗闇に隠れていたものの正体が少し見えたような気分です。
ひと月前の積み上がった瓦礫をくぐり抜けた方が、今回「よく片付けたわ…」と関心していました。そういう意味では復興が全く進んでいない訳ではないことがわかりました。関係者のもの凄い努力から、一筋の希望を感じることが出来ました。これは自分の気持ちにも大きく影響を与えました。
しかしながら、生活の場としての復興はまだまだ進んでいないといえます。仮設受託を建てる場所がないなど、地域の事情もたくさんありそうです。よく阪神大震災の復興と比べられますが、規模の違いや津波の被害、現地に行く手段(道路の数など)が少ないことなどを考えると、単純に比べられないと思いました。
ともかく大変な状況ですが、コツコツと地道に生活を取り戻そうとしている方々が一番偉いのだと思いました。
今回は、公開する意味やどのようにお伝えすればいいのかと、私自身が迷う場面が多く、何となく歯切れの悪い記事になったかもしれません。思ったことや写真を眠らせておくよりはいいかな?…と思った次第です。
見ていただき、ありがとうございます。
関連記事
- 震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 1.宮古港まで 〜 2011年6月1日
- 震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 2.田老港、田野畑村 〜 2011年6月1日
- 震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 3.普代村、野田村、久慈市 〜 2011年6月2日
- 震災から約3ヶ月の岩手県で見た光景 4.種市町、田老港 〜 2011年6月2日(この記事)
4回に渡る詳細な報告、拝見いたしました。
テレビ、新聞には出ないような場所の被害状況がよくわかります。
震災から約3ヶ月が過ぎて、壊れた家がだいぶ片付けられ更地となって、
復興が徐々に進んでいるのがわかります。
でもこの「なにもない場所」にどれだけ多くの人々の悲しみと苦しみが
埋め込まれているのかを思うと、胸が痛くなります。
大自然の圧倒的な営みによって、生活の場が破壊されることは
どうしようもないことです。
でも、その中でつつましく日々の生活を立て直す力を
人間は持っているのも確かなことです。
こんな言葉は、被災地から遠いところで安穏と暮らしている者だから
言える言葉かもしれませんね。
一枚の写真から受け取ることが出来るのは、
やはりその画面に限定された世界です。
ひとつの町や地域全体から受ける印象とは全然違うんだと思います。
被災地をずっと通ってみて、匂いはどうでしたか?
震災直後は潮の匂いが山のほうまでしていたという報道がありました。
しばらくたってから、火災で焼け焦げたものや、魚やその他動物類の腐臭が
ひどいという話も聞きました。
復興に何年かかるのかは想像もできませんが、
被災しなかったものも、それぞれの立場で可能な方法で、
なんらかの援助をつづけたいと思います。
悦子おばさん、コメントありがとうございます。
本当にあの惨状を見て、そこに住んでいた方々のことを思うと、どうしようもない気分になります。どうすることもできないことと対面すると「何でもすぐ解決できるのが当たり前という気分が心のどこかにあったのだな」と気づかされます。
> でも、その中でつつましく日々の生活を立て直す力を人間は持っているのも確かなことです。
テレビで見るドラマチックな感じでなくても、片付けや工事が進んでいることでもそれを感じることが出来ました。僕自身にもそれは収穫でした。大きな感情の動きではありませんが、絶やしてはいけない火が炭の中にまだ残っていた…というような感じでジワジワと心に効いてきました。
> 被災地をずっと通ってみて、匂いはどうでしたか?
匂いについては、僕の行ったところはほとんどしませんでした。
ひと月前の港では魚の匂いが凄かったと聞きました。火災したような家もたまにありましたが、ほとんど片付けたあとなのかもしれません。
(気仙沼辺りはそういう状況なのかもしれませんね)
テレビを見てると、さも東北が沈んだかのような印象を受けますが、被害が大きいのは津波のあった海岸沿いが中心だと思われます。(福島は別ですが…)
必要以上に、落ち込んだりいきり立たずに、皆でカバー出来るのではないかと、希望を持って元気になった方がいいのではと思います。
あとこれはここで気軽に書けないのですが「形あるものいつか壊れる」ということを、自分は学びに行ったのだと思っています。
私はスペインのイビザに住んで居ます
先日吉村昭さんの海の壁と云う本を読んで居たら(三陸津波についてのノンフィクション) 田老村 の防波堤の事が書かれてありました
今回の津波でどうなった書かれて知り炊く ネットで貴方の記事と写真をみて
万全だと思われたのが崩れるほどの 凄さ
貴方の記事写真とても良っかったらとても思います
見せてくれてありがとうございます . はたのはたの
はたのはるおさん、コメントありがとうございます。
自分の地元の人のコメントがほとんどなので、スペインからのコメントに驚きつつ嬉しいです。
私は東京に住んでいまして、岩手県の地理はあまり詳しくありません。田老村の防波堤がいくつあって、どれがどうなったかという詳細は持ち合わせておりませんが、田野畑村の明戸の堤防などは滅茶苦茶に壊れていました。おそらく田老村の防波堤も相当のダメージを受けていると思われます。主観ではありますが、盛った土砂をコンクリで固めた基礎のない堤防は根こそぎ崩れていたように思えました。
田老港ではガソリンスタンドの屋根の上まで壊れていまして、テレビでも予想はついたはずですが、いざ実際に見上げてみますと「えらいことが起こったな…」という実感がこみ上げてきました。
今の日本には、海外からの客観的な視点も必要かもしれません。
閲覧とコメントありがとうございました。