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お住まい:東京都
こんばんは、悦子おばさん、sコアラさん。
> > …伝えていくものが、忘れ去られ、連鎖が断たれ、関係という大地を失った。宙を漂う私は、ついに何でも無くなった。(謎)
> (略)…、上のHAYAさんの文は、竜に対する鎮魂歌だと感じました。
鎮魂歌か、なるほど。いわれてみれば、そんな気持ちで出てきた言葉です。でも、りゅうへではなく、りゅうが象徴とするものについて連想した言葉なんです。
大事な心の働きを、1度も与えてもらえなかった人が、人としての基準をうち立てることが出来ず、心のない抜け殻のように、またはロボットのように、ただただ生きて(機能して?)いる。
僕はそんな状況を言ってみたかっただけです。童話の中にはもっと大事なことがあります。りゅうが何故自ら死んでしまうのか。何故、母鹿の目に敵わなかったのか。それは、自分としての心が微かにあったということです。それが大事なことだと思います。…そして唯一救われる道は、自らの命を絶つしかなかった。そんな悲しいお話だと思います。
…ただ偶然そこに生まれただけで、愛情を受けず(虐待され)、生まれてはいけなかった存在としてうごめき、激しく愛を求めながら何を求めているのかすら分からず、愛してくれる人が現れてもその愛では満たされず、いくら自分の存在感を求めても満たされることがない。
…無意識が求めているのは、いま得られる愛ではなく、自分の存在感でもなく、過去に“存在しなかった”愛。全てが欲求のすり替えで、得られるもの全てが偽物でしかないのだ!
心の奥底は「自分は何で生まれたの?完全な無意味?」。そして自己の意味を求める最後の手段は、皮肉にも意味を否定すること。“確実に”自己の存在を否定すること。ある者は自らの命を絶ち、ある者は社会の憎悪を一手に引き受け、殺されるべき存在であることを証明する。
仮に、、、そんな人間を次々と生産する社会があったなら、悲しいことですね。被害者も、そしてそんな視点から見れば、加害者も悲しいです。
…ちょっとセンチだったかな。