バッカーズ文章
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タクシーの女

HAYA 著


 ある日の深夜のことだ。
タクシー乗務員のKさんは郊外の国道を走行中だった。道脇はしばらく森や畑が続いている。この時間になると例え都市部でも客は拾えない。Kさんの終業時間も迫っていた。帰路へと向かう。
 そんな矢先、前方の道際に人がポツンと立っていた。遠くから真っ直ぐKさんのことを見ている。どうやらタクシーを拾おうとしているようだ。
「仕事を終えようと思うとこれだ」
Kさんは一瞬不機嫌な顔をして、ゆっくりとブレーキを踏んだ。

 客は若そうな女。長い髪の間から痩せた青白い顔を覗かせている。
しかしこんな夜更けにこんな人里離れた場所で客を拾うのは初めてだ。しかも女の一人歩きとは気が知れない。
「こんなところで、どうかしたんですか?」
「道に迷って…」
女は微かな声でそう答えた。Kさんはそれ以上聞いてはいけないような気がした。
「どこへ向かいます?」
「○○町の○○交差点へ…」
Kさんは思わず眉をひそめた。その交差点は何故かここのところ頻繁に人身事故の起こる場所だ。今日も花束が飾られていた。ちょうど1年前の今頃、若い女がトラックにはねられ亡くなったのだが、そういえばそれから事故が頻発するようになったような…。
Kさんは車を走らせた。

 Kさんはバックミラーで後部座席の女を見た。物憂気に遠くを見ている。
何気なく女に話しかけた。
「あの交差点はよく事故が起きて人が死にますねぇ」
Kさんはそのことが頭から離れないようだ。
「半年ぐらい前、タクシーの運ちゃんもダンプにやられてましてね。被害者も加害者も他人事じゃないって、仲間内でよく話してます」
Kさんは更に続けた。
「よくタクシーに乗ったお客が途中で消えちまうって怪談話があるでしょ。あの交差点でも何回かあったって言うんですよ」
 思わずそんな話をしてしまったKさんは、ふとバックミラーに目をやってギョッとした。女は見開いた目でKさんを凝視している。
「お住まいはあの近くで? いや、ごめんなさいね、冗談ですから」

 しばらく沈黙が続く。一度女が何か言ったような気がしたのだが、無線の音にかき消されたのか、無線の雑音だったのか…。女はずっと身動き1つしない。
「もうそろそろつきますから」
Kさんは頻繁にバックミラーに目をやった。当たり前だが、女はちゃんと写っている。ずっと物憂気そうに遠くを見ている。
 車はしばらく走行し、そろそろ目的地の交差点に差しかかるところだった。
その時、無線装置が異様な音をたてはじめた。次の瞬間、Kさんは気が遠くなった。…まさかとは思ったが、信じられない事が起こった。

 バックミラーに“写るべき人”が“写っていない”のだ…。

「う、うそでしょ〜!」
女が叫んだ。
運転士がいないのだ!運転士がミラーに写っていないのだ!さっきまでちゃんと見えていたのよ。
女はとっさに運転席を確認した。人のいないグッショリと濡れた座席シートにめまいを感じた。運転士Kさんは幽霊だったのだ。
車は目的地を通り過ぎ、痛快に走っていく。
「冗談きつぅ〜!」
女は走行中の車内を、後部座席から運転席へかなり無理をして乗り移った。ワイルドな姿であった。そして車との格闘が始まった。不幸にも彼女は原付免許しか持っていない。また、理由は伏せておくが現在免停中である。
 幽霊タクシーは手強い。かなりの距離を暴走した。女はもの凄い力でブレーキを踏みしめた。なんとか車が止まった瞬間、必死に飛び降りた。
 タクシーは勝手に走り去る。乗車中マークが空車マークに変わるのを女は見逃さなかった。本当に空車だ。更に故人タクシー。
「ふざけんなボケ!」
女は吐き捨てた。

 ここはどこか郊外の街道のようだ。また夜道を歩いて帰る他なかった。ご存知のとおり、女は極度の方向音痴だ。仕方なしにトボトボと歩き始めた。
タクシーが通ることを密かに期待しながら…。


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