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まいごのファ

佐々木 悦子 著

 春風のおじょうさんが、あわてて飛んでいきます。薄いピンクのワンピースが、ひらひら舞っています。
 舞いおりたところは、森のお医者さん、やぎ先生の診察室。
「やぎ先生、たすけて! 急に歌がうたえなくなってしまったの」
「どれどれ…」
 やぎ先生は、春風のおじょうさんに、聴診器をあてました。
「ふーむ、胸の中が、からっぽだねえ」
「やっぱり…。じつは、わたしがこんな薄着で飛び出したのを見て、いじわるな北風のおにいさんが、最後の木枯らしを吹きつけてきたの。それで、おもわずくしゃみをしたら、わたしの胸の中から、音符が全部飛び出してしまったんです」
「そりゃ たいへんだ! 春風が春の歌をうたわないと、この森はいつまでも 冬のままだからねえ…」
 そこへ、もぐらのおばあさんが駆け込んできました。
「やぎ先生、おなかの具合が変なんです。みてくださいな。どれどれ…」
「いや、あんたが『どれどれ』と言うことはないよ。それは わたしが言う言葉だ」
 やぎ先生が、聴診器をあてました。
『ド、レ、ドレドレ、ドレドレド…』
 おばあさんのお腹の中から、賑やかな音がきこえてきます。
「ははーん、わかったぞ。おばあさん、なにか妙なものを食べなかったかね?」
「はあ、そういえば…。けさ、赤とオレンジのゼリーが、わたしの家の中にころがってきてね…」
 そのとき、うさぎのこどもが飛び込んできました。
「やぎ先生、なんとかして! 足がとまらないの! ソ、ソラ、ソラソラ…」
 うさぎの子は、診察室の中をぴょんぴょん踊りまわります。
「おや、おまえの靴は、なにかがくっついてるようだね?」
「あっ、これはね、けさ野原でひろった玉飾り! きれいでしょ?」
「ちょいと、どきな!」
 うさぎの子を押しのけて割り込んできたのは、乱暴もののとらのおにいさん。
「おーい、やぎせん! なんとかしてくれよ! けさから、どういうわけか、変な鳴き声になっちまってよぉ。ミー、ミー、ほらな、まるで子猫みたいで、かっこわるいったらないぜ。ミ、ミ、ミー」
「たまには、おまえさんがそういう声で鳴くも、いいもんだ!」
 やぎ先生は、笑いながらいいました。
「ところで、おまえさんは、どこかでなにか変わったものを食べなかったかね?」
「うーん、草むらの中に、おいしそうな黄色いクッキーがあってよぉ…」
 そこへ、ばたばた窓から飛び込んできたものがいます。
「急いでわしを、診てください!」
 動物学校のふくろう校長です。
「わしは、いつでも子どもたちの話を、ホウ、ホウ、と喜んで聞いてあげる。
ところが、今日はどうしたことか、子どもたちにむかって、シッ、シッ、シーッと、言ってしまうのだよ。みんな、こわがって逃げ出してしまってのう…」
「校長先生、いつもと違うものを、飲み込んだのではありませんか?」
「シッ、シーッ、いや、失礼。そういえば朝ごはんのお皿に、紫色の玉がのっていたなあ。のど飴だと思って…」
 やぎ先生は立ち上がって、台所から胡椒のびんを持ってきました。
「もぐらのおばあさんと、とらのおにいさんと、ふくろう校長は、深呼吸をしなさい! そうそう、おもいっきり息を吸い込んでー、パッ パッ パッ!」
やぎ先生は、びんのふた取ると、盛大に胡椒を振りまきました。
「ド、ド、ドレドレ、ドーックション!」
「ミ、ミ、ミーッだ、ミックションだあ!」
「シ、シ、シシシシ、シックションじゃい!」
 もぐらのおばあさんの口から、赤い玉とオレンジ色の玉が、飛び出しました。
「あっ、それ、わたしの音符だわ。それがドとレなんです。」
 春風のおじょうさんが、嬉しそうに叫びました。
 とらのおにいさんは、黄色の玉を吐き出しました。
「これが、わたしのミ!」
 ふくろう校長の口から、紫色の玉が飛び出しました。 やぎ先生が、それを拾いながら
「では、これが シというわけだね」
 そして、うさぎの子どもに いいました。
「おまえの靴についている、水色と青の玉をはずしてごらん!」
 うさぎの子、ソとラの玉をはずすと、やっとダンスが止まりました。
「やぎ先生、ありがとう! これで七つ全部、わたしの音符がそろったわ。 ド、レ、ミ…、ソ、ラ、シ… あら、たいへん、ファがないわ! これじゃ、わたしは春の歌をうたえない…」
 春風のおじょうさんは、泣き出してしまいました。
 そこで、みんなはファを探しに出かけました。森の動物たち全員に呼びかけて、まいごのファを探すのです。
「ファは、緑色なんです!」
 春風のおじょうさんが、森の上を飛びながら叫びました。
「おーい、ファはどこだぁ!」
「だれか、ファを見なかったかぁ?」
「緑色の玉をひろったものは、いないかね!」
 すると、あわてんぼうのいたちが飛び出してきました。
「おいら、しってるさ。緑色の玉!」
 みんな、急いで集まりました。
「そこのやぶの中で、ファ、ファって泣いてたからさ、ひろったんだ。おいら、こないだ前歯がぬけっちゃってさ、ちょうどいいや、これを歯のかわりにしようって思ってさ…」
「ハと ファは、ちがうだろうに…。どれどれ、口を開けてごらん!」
 やぎ先生が言いました。
「ファはもう、ここにはないのさ」
「なんだって? おまえはファをどこへやったのだね?」
「口にはめたらさ、こんどはうれしがって、やたらに笑うのさ。ファッ、ファッ、ファッ…てさ。そいでさ、おいら、うるさいから捨てちゃったのさ」
「ホウ、ホウ、 おまえはファをどこへ捨てたのじゃね?」
 ふくろう校長が言いました。
「森の奥の底なし沼さ!」
 みんなは、急いで底なし沼へ駆けつけました。
 沼の真ん中に、小さな泡が浮き上がってきます。ファッ、ファッ、と音を立てています。
「まあ、どうしよう! わたしのファは、底なし沼に沈んでしまったのね。わたしはもう、春の歌をうたうことができないのだわ!」
「ということは、この森には今年は春がこないということか?」
 みんながいっせいに、騒ぎ出しました。
 そのとき、下の方から、ささやき声がきこえました。
「だいじょうぶです。ファのない春の歌がありますよ」
 それは、沼から流れ出している、小さな小川でした。
「みなさん、『春の小川』を歌ってみてください!」
 そこで、みんなは沼のまわりに立って、『春の小川』を歌いました。
「は〜るのおがわは (ミソラソ ミソドド)
 さらさらいくよ〜 (ララソミ ドレミー)
 き〜しのすみれや (ミソラソ ミソドド)
 れんげのはなに〜 (ララソミ レミドー)
 す〜がたやさしく (レミレソ ララソラ)
 いろうつくしく〜 (ドドシラ ソソミー)
 さ〜けよさけよと (ミソラソ ミソドド)
 ささやきながら〜」 (ララソミ レミドー)
 ほんとに、ファが出てきません!
 春風のおじょうさんは、大喜びで言いました。
「まあ、ありがとう! さっそくこの歌をうたって、森じゅうに春をはこびましょう!」
 ところで、沼に落ちたファは、いったいどうなったのでしょう?
 沼の底の、底の、底には、かめじいさんが住んでいました。かめじいさんは、落ちてきた緑色の玉をビー玉だと思って、だいじにして遊んでいるのです。
 ちょっところがすと、玉はファッ、ファッといって、緑色の泡を出します。
かめじいさんはそれを見るとうれしくなって、いっしょに、ふぁっ、ふぁっ、と笑います。だからこの沼では、今でも時々小さな泡が、ファッ、ファッ、と湧いてくるのです。
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