気まぐれ本屋さん
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佐々木 悦子 著
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『日曜日の午後だけ開店いたします。
在庫は一冊しかございませんので、
お売りすることはできません。
おひとりづつ順番でお読み下さい。
お待ちのお客様には、おいしい紅
茶とクッキーをさしあげます。
なお、当店の勝手な都合により、
お休みすることもございます。
あしからず。
では、どなた様も、ごゆるりと。
気まぐれ本屋 主人』
こんな、風がわりな看板の出ている家が、
ありました。
門を入って、色とりどりの花に、ふちどら
れた敷石を、歩いて行くと、玄関につきます。
ドアには、日曜日の午後だけ『いらっしゃ
いませ』と、書かれた札がかかります。
ドアをあけると、ドアハープの、ポロンポ
ロンというやさしい音がして、奥から白髪の
おばあさんがでてきます。
「ようこそおいでくださいました。どうぞこ
ちらへ」
明るい広々とした応接間に通されます。
大きなガラス戸ごしに、手入れの行きとど
いた庭が、見渡せます。
広い芝生のまんなかには、小さい噴水があ
って、それをかこむように、花の咲き乱れる
花壇があります。
庭のすみに、大きなすずかけの木が、ゆっ
たりと枝をのばし、その下におかれた白いベ
ンチに、気持ちのよい木陰をつくっています。
そのベンチの上には、いつも、むっちり太
った茶色の年より猫が、寝そべっています。
おばあさんが、紅茶とクッキーを運んでき
ます。古風なティーカップに入っているのは、
極上のダージリンです。香ばしいクッキーが、
そえられています。
しばらく待つと、おばあさんが静かに近寄
ってきて、
「お客様の番でございます」といって、隣の
部屋に案内してくれます。
そこは、小さな落ち着いた部屋で、窓際に、
ゆったりとしたソファーと、テーブルがあり
ます。
テーブルの上には、本が一冊置いてありま
す。本の横に、古い木の箱があって、こんな
カードがそえてあります。
『この本は、世界中でたった一冊。
当店のためだけに書かれた本です。
満足していただけたら、箱の中に
お気持ちだけのお金を入れて下さい。
お気に召さなかったかたは、そのま
まお帰り下さい。
またのお越しをお待ちしています。
気まぐれ本屋 主人』
今日の本は、マルタ・マルデリッヒ作『空
を飛んだピアノ』です。
深々とソファーに腰をおろし、本を手にと
って、ゆっくりページをめくっていると、す
こしあけた窓から、やわらかな風が、花の香
りをはこんできます。
お客は、帰り際に、翌月の予告のちらしを
もらいます。
来月は、第一日曜が、ジョン・バック作『
探偵ブラッキーの悩み』、第二日曜が、サラ
・サーテン作『女王陛下と千匹の猫』、第三
日曜は、奈良京子作『桃色の風』、第四週は、
ヘンダーソン作『怪魚姫』、というぐあいで
す。
お客は、これを見て、自分のひいきの作家
の週を、楽しみにして待っています。
でも、これが、あてにならないのです。な
にしろ、気まぐれ本屋ですから。
それにしても、今回は様子が変です。いく
ら気まぐれとはいえ、もう、三か月もお休み
したままなのですから。
心配した常連のお客が、たずねてきました。
このお客は、ジョン・バックのファンでした。
気まぐれ本屋の庭が、荒れはてています。
花はしおれ、噴水はとまり、すずかけの木
はだらりと葉をたらし、白いベンチには、猫
のすがたもありません。
いつものおばあさんが出てきて、申しわけ
なさそうに、いいました。
「すみませんね、バック先生は、ご家族が亡
くなられて、いまはとても、執筆する気持ち
になれないそうです」
次に、サラ・サーテンのファンがきました。
「すみませんね、サーテン先生は、ご家族が
亡くなられて、しばらくお休みしたいそうで
す」
次に来たお客にも、
「すみませんね、ヘンダーソン先生は、ご家
族が亡くなられて……」
ある朝のこと、気まぐれ本屋さんの、門の
前で、一匹の茶色の捨て猫がないていました。
まだ、小さな赤ちゃん猫です。
おばあさんが、家の中から走って出てきて、
猫を抱き上げると、いいました。
「まあまあ、おまえはきっと、死んだトラ吉
の生れかわりね。おお、よしよし、今日から
ここが、おまえのうちよ」
おばあさんは、小猫にミルクを飲ませ、や
わらかなタオルでくるんでやりました。
小猫は、すっかり安心して、おばあさんの
ひざの上で、眠りはじめました。
「やれやれ、これでまた、お店を開けるわ。
わたしは、ひざに猫がのってないと、全然、
調子がでないのよね……ええと、今度の日曜
の予定は、ダン・タグ先生の『飛べない男』
だったわね」
おばあさんは、老眼鏡をかけると、鉛筆を
もって、うれしそうに原稿用紙にむかいまし
た。
庭のすずかけの木が、ゆさゆさ楽しそうに
枝をゆらしました。
小さい噴水は、げんきよく、水をふきあげ
ました。
花壇の花たちも、風にあたまをゆらしなが
ら、あたりいちめんに、かぐわしい香りをま
きちらしました。
小猫は、おばあさんのひざのうえで、ごろ
ごろのどをならしながら、ねむっています。
おばあさんの鉛筆が、ゆかいそうに、おど
りはじめました。
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